メッセージ: はじめに
千成産業さんは今この地で堆肥を作っています。ここでは奈良時代に国分寺を建てた時その瓦を作ったと言われています。そこに近頃までメダカが水辺で泳ぎ庭にはホタルが訪れツバメは土間の天井に有る巣の中でヒナを育てるような豊かな自然が有りました。そしてそれを賢く活かした暮らしが営まれていました。私はその中でそこに有る物を活かす心を感じながら育ちました。千成産業さんは国分寺の瓦を此処のローム層の土を活かして作っていた“有る物を活かす物づくり”の歴史を踏襲するかのように此処で堆肥を作っています。その企業活動の基になっているものの中に私は自分が感じていたその活かす心が大きく活かされていることを強く感じるのです。そしてその姿に心を惹かれるのです。私もそれに学ぼうと我が家の歴史の中で役目を終えた物を活かして箱庭のようなものを作りました。一番手前の石は古い母屋の土台をタクアン漬の重石にしていたもの、一番奥のリュウノヒゲは道端に生えてしまったものなどです。それからもうひとつ、堆肥と云うものを私がこの地から見てきたことをここで私なりに整理してまとめました。誤解も多いのかとは思いますがどこか少しでも参考にできることを喜びとさせていただきたいと思います。知って戴くためにここを使いますので、内容や取り扱いについて千成産業さんに責任はありません。
1:自給自足生活だった時代に知った堆肥のこと
その頃のこの辺りの自然は生活の一環としていつも人が入ってきれいに管理されていました。そしてそこに有る野草やキノコ、木の実なども採っていました。その自給自足の暮らしでは生活に必要なものは主食まですべて自分で作ってまかなうことを基本にしていました。主食はムギメシと呼ばれた物で、それはオカボと言われた味の落ちる米に収量の多い大麦をつぶしたオシムギと言われたものを混ぜて量を増やした物です。此処は丘陵地帯なので水田は少なく米は陸稲だったのです。まだ学校給食は無かったので昼食は弁当を包んでいる新聞紙を立てて他人から見られない様にして食べていました。真ん中に梅干し一つの日の丸弁当と呼ばれた物も有りました。農家と言われた一般的な家庭の経済状態からのもので健康からではありません。日頃の暮らしぶりは自然の持つものを賢く活かして使うように工夫されたもので、採れた野菜や野山の幸も麹菌や嫌気性菌など菌を上手に使って四季を通じて活かしていました。そして裏庭に竹林を仕立てて北風を防ぎその竹を使ったりして生活に必要なものは自分で作りました。ヤマの雑木は小枝を燃料にしてその灰は肥料に使い落ち葉は庭に敷いて霜除けにしました。それを役目が終えたら麦わらで箱状に囲まれた中に詰めてその上から排泄物を長期間置いて出来た液体を掛けて堆肥を作りました。それによってそこでは堆肥を使って作物を育てそれを食べてその暮らしから出るもので再び堆肥を作るまでの還流する物の流れが菌と植物と動物のリレーでその家庭生活の営みの中だけできれいに廻っていました。それを認識したうえで改めて振り返ってみると自然というものがそんな流れで動いているように思えて来ました。そこでここでは自然というものは大自然を舞台にした様々な生き物たちのこのような環の集合体で、生き物たちはその中でそれぞれのポジションを守ってそのライフサイクルを生きているものだと捉える事にします。それを自然サイクルと云うのでしょうか。だとすればそれは取りも直さず先人達が一つの動物として自然の一部になって暮らしていたことになる訳です。そこに有るその暮らしの環をここでは堆肥に焦点を当てていますので仮に“堆肥づくりサイクル”と呼ぶことにします。つまり堆肥づくりサイクルは私達のための自然サイクルの一つで堆肥つくりは私たちが自然の中でその環を造って暮らすための役割のひとつなのです。そして堆肥はかつて“こやし”と呼ばれていて、耕すことと共にかく汗に見合っているものだと長い付き合いのなかで作物から教わって“うなってこやせば良くできる”とか “うんと欲しけりゃうなってこやせ”などと言われて収穫を増やす励みとして使われて来ました。
2:農業で暮らす時代になって知った堆肥のこと
硫安(硫酸アンモニュウム)過リン酸(過リン酸石灰)カリ(塩化カリウム)などの化学物質を振り撒くだけで作物が出来る化成肥料栽培がその圧倒的な能率の良さで広まって有機栽培はすぐに耕地から姿を消しました。そして堆肥づくりサイクルで堆肥を作らず化成肥料を使うことで農業が成り立つようになりました。それによって食料を作るのは農家に任せて他の人は別の職業に就くことが出来る様になりました。そして時代はそれで社会を豊かにする分農分業の社会に変わりました。それは得意な作業を持ち分け合ってその成果をお金によって交換するのだと解釈できるのかもしれません。専門的に作った物が出回ってくると自分で作った物も通用しなくなって生活するためにお金が必要になったので、専業農業だけでなく農家と云われた一般的な家庭でも仕事に就くために堆肥を作る生活から化成肥料栽培に替えることが必要だったのです。時代は農業の時代に変わり堆肥は作られず耕地に入らなくなって堆肥づくりサイクルは終焉を迎えました。それによって暮らしは自然の中に棲むというものではなくなりました。しかしこの時代の日本のターゲットは工業化と海外進出だったのでメインテーマは労働力の確保ですからそれは問題視されませんでした。そして離農という言葉が有って化成肥料栽培で自給自足的な生活をしながら職業を持つという半農と言われた生活で始まった自給自足生活からの離脱は専業農業の確立と農家の勤め人と云われたサラリーマン化と農地の家庭菜園化によって耕地からさらに労働力が生み出されて行きました。また集団就職というものも有って次世代もその流れに乗って行きました。自給自足時代には国民の主体だった食料生産に必要な人を減らす必要が有った時代だったので、そのために大きな働きをした化成肥料は立派に役目を果たしたのです。自給自足体制から日本の農業を造ってその時代の日本の課題を見事に解決しているのです。その一方それは食糧つくりから堆肥づくりサイクルを放棄させてしまったのです。その役目の終わった肥料を堆肥づくりサイクルが壊れている事に手を打たずに経済成長を隠れ蓑にして使い続けているのが現在の状況なのです。そんな中で食べた物の後始末ができなくなって社会問題になりました。その根本的な原因は堆肥づくりサイクルが化成肥料栽培によって壊れていることなのです。それは自給自足時代には食べる物は農家が自分で堆肥にして後処理していたのに化成肥料栽培になり使い道が無いので税金を使って処分していることです。それが経済成長の陰りで税金が足りず続けることが出来なくなった事なのでこのままにしておけないのは明らかです。ですから税金は処分で無駄遣いするのではなく堆肥づくりサイクルの再現に使って、一日も早くそれを復活させて自然の中に戻るべきでしょう。
3:豊食の時代になって知った堆肥のこと
今日本は食料自給率が低いうえ自給している国内生産に必要な化成肥料の原料まで外国に依存しているので、海外関係が切れてしまうと有機栽培だけが食料供給源になってしまいます。その為やっとここで農水省から自治体ぐるみで有機栽培に取り組むオーガニックビレッジつくりの方針が出されました。そしてたくさんの自治体がオーガニックビレッジ宣言をしています。時代は変わりました。農業は遅かれ早かれ有機栽培になるのです。ここでこの時代の変化を乗り切るカギを握っているのは私達が野菜を食べるのを支えている人達でしょう。その人達が自分の問題としてオーガニックビレッジ宣言を捉えて、どれだけ早くそれを出来るかだと言って良いでしょう。野菜は時代が移り暮らしがどんなに厳しくなったとしても必要なのです。そしてどれだけ早く有機栽培による近郊農業の体制を作ってその市場を確立できるかが、この流れに乗る道であることは間違いないでしょう。そして有機肥料は有機栽培の基礎ですからオーガニックビレッジつくりの進捗に大きな影響をもたらすでしょう。そこに時代を先取りして40年以上前から有機栽培農業を出来る様にしたミックス堆肥の力を活かす事の価値は明らかでしょう。それを世間がもたついている間に実行する効果は言うまでもないでしょう。いよいよミックス堆肥の出番がやってきたと言っても良いのでしょう。そこでは学校給食も地産地消ならそれでミックス堆肥を作る事によって給食の堆肥づくりサイクルができます。そして実習でそのミックス堆肥を使って野菜を作り、それを育てて見守りながら理科社会文学美術など様々な分野の自然や食をテーマにした授業をすることも出来るのではないでしょうか。それをキッカケにしてその分野に目覚める生徒も出るかもしれません。ミックス堆肥は野菜だけでなく人材も育てるかもしれません。私は最近あるところでツバメの巣を見かけて今年そこで初めてツバメがヒナを育てたことを知りました。そしてすぐに冒頭の風景を思い出してそれは彼らがオーガニックビレッジつくりをそこへ催促に来たのだとしても良いと思いました。なぜなら私たちがツバメの飛んでいたあの頃の世界をめざすオーガニックビレッジをいつになっても始めないからです。なぜそれが進まないのかといえばそれは吸引力がないからです。かつて有機栽培が化成肥料栽培に一気に変わったのはそれだけの吸引力が有ったからなのです。今のオーガニックビレッジ規格のようにそうで無くても荷が重い有機栽培に認証や管理の手間で重く足枷を掛けたら二の足を踏むことは目に見えているでしょう。オーガニックビレッジづくりを進めるなら規格の内容を必要最小限したうえで有機野菜でないと買う気にならないような状況を作って吸引力を作る事が効果的ではないでしょうか。
4:私達の歩む道はどこに有るのか
生命が地球上で生まれたのかそれとも宇宙かやって来たのか知りませんが地球は菌から植物や動物まで生命が溢れています。その中で私達は人間として生命を授かりました。そして先人達は物を大切にして自然の一員として自然を大切にしながら一緒に暮らしていました。その行動の源になっていたのは生きて行くことが他の生命の犠牲の上に成り立っていて人間として生まれたのは幸せなことなのだという意識を持っていたことでしょう。ですから野山の虫の命も粗末にすることは無く物も大切にしたのでしょう。そして四季の境目にある節分では過ぎた季節に感謝して訪れる季節を祝いその前の18日間は土用と云って土の神様を敬う為に土をいじらない様にしたようです。このようにその暮らしぶりは自然を畏敬してそこから恵まれる物を感謝の思いをもって無駄なく活かして使っていたのです。それは先人達が自然の中で一つの動物として暮らしていたからです。そのような目で動物や昆虫を改めて観察してみると大自然から得られるものを上手に活かしています。弱いものほど見事にさえ見えます。それが大自然の中でそれを構成する一員として暮らすための掟なのでしょう。活かしたものだけが生き残っていると言っても良いかも知れません。守れない者はそれなりの報いを受けると考えた方が良いのでしょう。私達もこれを知り先人達から学ぶべきことは多いのでしょうが生活環境は大きく変わりました。それをそのまま踏襲することは出来ませんがそこで先人達は物をムダにせず活かす工夫をする“活かす心”で臨んでいました。それは長い時間をかけて人が培った“活かし方を創る”という他の動物たちにはない“人という知恵を持つ動物の特徴”に違いありません。それを大きく活かすことが必要なのです。これこそ私たちが進むべき道なのです。時代は変わっていますのでそこには新しいニーズと新しい技術が有ります。そのステージでそれを活かすことが大切なのです。それが活き活きした自然を構成する仲間になって足を地につけて暮らすことを目指す道だと思うのです。
終わりに
此処ではこれからも野菜作りが続いていくと思いますが、奈良時代に関東平野の片隅で国分寺づくりを手伝い太平洋戦争ではアメリカ海軍のF6F戦闘機が捨てて行った12.7ミリや20ミリ機銃弾を受け止めた此処の土はミックス堆肥粗材を軽トラック一杯ずつ分譲して土づくりを手伝った千成産業さんの歴史も忘れないでしょう。食べ物は資源やエネルギーと共に大切にしなければならない物です。この大切な一角の有効活用の道をさらに進めてオーガニックビレッジづくりの道に桁違いの貢献をして戴きたいと思います。
メッセージ: 補考
ミックス堆肥が出番だと言いながらそれについては何も説明していなかったので、独断が前提になりますが私の頭の中にある堆肥の世界について説明させて頂きます。
1:堆肥とはどんな物なのか
ミックス堆肥の説明は浄化槽を例にとると分りやすいと思います。今は2槽式浄化槽というものが有って付いている家では家庭から出る有機物は台所からトイレまですべてここで処理されて土と水になっています。そしてその水は下水に流され土は定期的に回収されているのです。その槽の中では送られて来た有機物が先ず1槽目で嫌気性菌の発酵によって分解してからそれが2槽目で好気性菌の発酵で分解されながら土に変わって行きます。これは自然界の基本的なしくみで植物はそこで出来る栄養を使って成長するのです。堆肥はその道の途中の好気性菌の発酵によって分解しているところの物なのです。そのため堆肥づくりを早く止めてしまうと使う畑でのガスや熱の出る分解によって根を痛めるし遅いと栄養が減って効ないものになります。
2:堆肥は何をする物なのか
堆肥の特徴はその中の菌が作物と一緒になって作物を育てることです。そして堆肥は菌が作物を分解した物ですから大まかな元素だけで出来ている化成肥料と違って作物が必要な元素はすべて持っています。そして畑に入れると菌がそれを発酵させながら作物と共生して結ばれている菌糸から糸根を通して栄養を与えます。作物はそれを太陽のエネルギーで必要なものに変えて成長します。ですから栄養も作物の欲しいものが欲しい時に欲しいだけ送られるので、その作物が成りたい自分らしい作物になるし良い堆肥がものをいう訳です。悪い菌によって起こる病気に対しても菌が一緒に守ってくれます。化成肥料で育っている作物は何も守ってくれないので農薬が欲しいのです。それだけでなく菌は畑の有機物の分解もして栄養が出来るので、それで育つ微生物を餌にするミミズのような小動物が増えて土が団粒化して柔らかくなります。堆肥は作物のペアといって良いほど無くてはならない物なのです。
3:本当に自然野菜ができるのは堆肥を入れて耕したとき
今、自然栽培などの自然をアピールした栽培がいろいろと取り上げられています。その特徴は自然で有るためにそれを壊さないように耕したり肥料を入れたりしない事です。それは自然を大切にしているように思えるのですが見た目と逆にそれで自然を傷つけているのです。野菜と云うのは野草から堆肥をやったり耕しながら持っている特性を育てたものなので、ハスが水辺に生えサボテンが乾いたところに多いように野菜にとっては堆肥を入れたり耕した所が自然で生きやすい環境で野草が生えている自然のままは自然な環境ではないのです。ですから野草が生えている所で堆肥を入れず耕さないで栽培するという事は慣行栽培がスポーツで栄養をとりながらその能力を伸ばす事だとすれば断食をしながら座禅修行で鍛えるような事ではないでしょうか。それならスポーツと違って鍛えれば鍛えるほど結果は貧しくなるでしょう。そしてその結果は堆肥を入れて耕した所で出来る野菜が活き活きしているのに対して妙な姿をしていてそれが野菜の隠れた能力が発揮されている証になっているのではないでしょうか。又、自然が野草を育てている所で肥料を与えず耕さないで野菜の栽培をすると自然の中に堆肥が必要な野菜が割り込んで来て堆肥の代わりに野草が虫や微生物と協力して貯めてきた養分をどんどん使って育ちます。そして野草は使った養分を自分自身が堆肥になって戻すし慣行栽培では堆肥を入れて収穫した養分を戻すのに自然栽培はそれもせずに使った養分を収穫で持ち去ったままそこに穴をあけるのです。その後を守る野草や小動物にはその穴を半年や一年で埋め戻すことは出来ません。ですから堆肥を入れず耕さないことは自然を守るのではなく見えない穴で傷つけているのです。これは見てくれよりも大きな問題なのです。良く見えませんが自然の中では虫や小動物たちが野草に必要な堆肥を糞で与え団粒化して耕して自然は守られているのです。ですから野草よりも大きい野菜を収穫するためには虫や小動物のフンよりもたくさん堆肥を入れてそれを野菜に必要なスピードで吸収できるように虫や小動物よりもたくさん耕してやることで初めてそこが野菜の育つための自然になるのです。自然と云うのは自然サイクルが廻っている事だとすれば化成肥料でそれが壊れたことが自然が守られたかどうかの分岐点なので石や木の道具から鉄の鍬に変わりトラクターになったとしても自然サイクルを守っている限り基本的には自然なのです。モグラが穴を掘っても洪水が出ても自然を壊してはいないのです。そこから分かる自然栽培の姿は見た目にこだわって野草が作った自然を横取りして自然を傷つけながら育てる自然利用栽培といえるものでした。そして出来る野菜もそれを自然栽培と云うなら最初の一回は自然野菜と云うのかもしれませんが次の時は傷ついた自然で栽培したもので作れば作るほど自然が傷ついて不自然になるものでした。
4:堆肥づくり
かつて堆肥つくりでは2槽式浄化槽と全く同じことが行われていました。まず“溜め”と言われた所にトイレの物を1年分貯蔵しました。浄化槽の1槽目で1日行う嫌気性発酵です。長期間なので排泄物も全く別の液体になりました。それを雑木林の落ち葉を冬の間庭に敷いていた物を“さつま床”と呼ばれた竹棒と麦わらで箱状に組んだ中に詰めた上から掛けました。浄化槽では2槽目でポンプの空気を送り込んで好気性発酵しているものです。そこで広い面積で空気と触れ合う事で出る発酵熱を温度管理しながら利用してサツマイモの苗を育てて、それが終わると落ち葉がすっかり分解して堆肥になりました。まったく無駄にするものが無い堆肥づくりサイクルでした。そこで使われている落ち葉を活かした栽培はここで“武蔵野の落ち葉堆肥づくり”として世界農業遺産に認められて世界に知られることになりました。しかしそこで取り上げられているのは落ち葉の自然サイクルを作って生活に利用するだけのものでした。そうではなくて落ち葉を利用して堆肥づくりサイクルを作ることによって人が一つの動物として自然と一体になって暮らしていたことを取り上げて欲しかったのです。それが本来持っている価値の筈であり世界農業遺産にふさわしいものだと思うのです。それを米ぬかや麺のゆで湯など生活から生まれる物を使って堆肥づくりサイクルを再現して“自分達が暮らしながら自然を継続させるためには自分達が自然の一部になって暮らすことが必要なのだ”ということを理解する場にして欲しかったと思うのです。そしてそれがオーガニックビレッジへの道でもあると思うのです。生活が絡まない自然サイクルベースではスピードも生産量もオーガニックビレッジの求めるものに対しても応えることが出来ないのです。
5:ミックス堆肥は他の堆肥とどこが違うのか
堆肥というのは有機物を菌で分解すれば出来ますが、そのなかでミックス堆肥は自分たちの食べ物を使って堆肥を作るのでそれを使って栽培することで堆肥づくりサイクルを作るのです。それによって自然から収穫して持ち出した成分を堆肥で補給して義務を果たし、それを耕すことで好気性菌が野草より成長の早い野菜を育てられる環境を作って責任を持つ訳です。と云うことはそれによってミックス堆肥を使った栽培には自然の中で栽培してできた物で暮らす権利が与えられる訳ですからこれが本当の自然栽培といって良いのでしょう。そしてミックス堆肥を使って栽培することは農業時代の中でも自分達の食べ物については自然の中に組み込まれて虫や鳥たち動物の仲間になって一緒に暮らすことになるのです。
6:オーガニックビレッジ時代に堆肥に求められる事とは
ミックス堆肥を使った栽培は皆でする事で化成肥料によって失った自然を再び呼び戻して新しく自然農業の時代という時代を作るパワーを持っているのです。それによってミックス堆肥を使っていると ”化成肥料で自然が失われていた時代があったなぁ“という新しい時代が来るのです。そしてそれを進めるために必要な堆肥をたくさん使うというオーガニックビレッジがやって来るのです。これが私達の現在置かれている状況だと思います。そして堆肥を作るために必要な有機物は地球には使い切れないだけ有ります。しかし生活を支える為には堆肥づくりサイクルを廻して暮らしで使ったものを堆肥にして戻すことが必要なわけです。ですから私たちが手に出来るものは限られているのです。それを先人達は上手に活かしてムダにしませんでした。オーガニックビレッジ時代が求めているのはその活かすこころに違いありません。そして手に入る有機資源を無駄なく活かす道を進むことになる筈です。つまり堆肥づくりサイクルという自分達を含んだ自然サイクルの中で暮らす社会を作ることが必要なのです。その内容をどこまで忠実に広く深いものに出来るかがオーガニックビレッジの課題になるのです。ですからミックス堆肥の使命は大勢で使う広がりと共に対象のエリアを広げる事も怠ってはならない事なのです。又、ミックス堆肥にはペアといって良いほど共鳴するリンカリパワーという肥料が有りますがなぜ効くのか知りたいです。種子の生命力に関係が有るように思えてしまうのですが教えていただきたいです。そして千成産業さんのオリジナル肥料としてアピールしていって頂きたいのです。 2024.5.14 地元に根付いた野菜